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病気のこと

 僕が脊髄小脳変性症と診断されたのは、約3年半前のH17年9月のこと。。。
 仕事中に単車で転倒ばかりするので、一回診てもらおうということで、姶良にある整形外科をたずねた。一通り検査をしたが、整形的には何も異常はないと言われ、その後、診察を受けた。
その際、片足立ちや、自分の鼻と先生の手を交互に指差ししたりなど、いくつか検査をして、こんなことして何になるんだとか思ったけど、やってみるとうまくいかず、何か悔しいと思っていた矢先、もしかしたらこれは整形的なものではなく神経的な病気かもしれないと言われ、大学病院を紹介された。
 後日、大学病院へ行き検査を受けると、SCD(脊髄小脳変性症)3型のマシャド・ジョセフ病だと診断された。僕はその診断結果にさほど驚きもしなかった。むしろ冷静に受け止めることができた。
 H16年7月25日、父が他界した。肺炎だった。父は最期は、骨と皮の状態でやせこけていた。僕はその日大浦で会議があり、オオトリで発表をする予定だった。前日から現地入りしていた僕には、父の危篤の連絡など届くはずもなかった。当日の朝7時ごろ、同じ職場の先輩が母から連絡を受け、現地まで知らせに来てくれて執行部の人に連絡してくれて、父が入院していた病院まで送ってくれた。
僕が着いて1度目を開けた。後を頼むと言ってるような気がした。そして、家族にみとられながら、満50年の生涯を閉じた。
 父も脊髄小脳変性症だった。僕が3歳のときに発病し、それから20年近くも病気と闘ってきたのだ。
父は、タバコが好きで、よくおつかいを頼まれた。8.6水害の日、電気も点かなくなった暗い部屋で眠くなるまで、ぶたのしっぽをして遊んだことはいまでも忘れない。
父は、感情を表に出すことが苦手で、後から母の話を聞くと、僕らが小学生のときから僕は大学に行かせてと本当に僕のことを心配してくれていたということだった。
 父の父も脊髄小脳変性症だったということを母から聞いたことがあったので、もしかするとと予感はあった。でも、いざ本当に病気だと分かると、これからどうなっていくんだろうという不安と恐怖で居ても立ってもいられなかった。
 あれから、3年半。。。まだ何とか生きている。それだけでまるもうけじゃないか。
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テーマ : 健康生活:病気・治療法
ジャンル : ヘルス・ダイエット

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